0.999...=1 は違うだろ、という話

コレ違うというとアホと思われるのわかった上で書くんですけど
0.999...=1-lim n→∞(1/10)n乗
ってことでいいですよね。
1.000...=1+lim n→∞(1/10)n乗
とすると
0.999...=1.000....=1
ですね。
でも、
1/(1-0.999...)=∞
だけど
1/(1-1.000...)=-∞
じゃないですか。
0.999...と1.000...で答え違うじゃないですか。
じゃあ0.999...=1.000...=1とはならないんじゃないですか?
別の書き方すると
y=1/(1-x)
のxに0.999....と1.000....と1代入するとき、yの値も考え方も違うじゃないですか。
簡単に=っていうなよプンスカ
って思うんですけど、どうすか?
別にこの考え方が正しいと主張する気もないんですけど、小学生の頃からうまくは言えないけど抱く違和感を
1/3=0.333.... は〜い両辺3倍して〜
みたいな証明で終わったことにしてバカにすんなよ、とは思うんですよ。
というのを、
http://yubais.hatenablog.com/entry/2018/06/13/143925
はてブコメントのリンク先に
https://ja.wikipedia.org/wiki/0.999...
が出てきたので、ふと思い出して書いてみました。

天皇が憲法違反したら天皇どうなるわけ?

天皇の生前退位が話題ですね。

天皇の政治的な発言は憲法で禁じられている、とのことですが、実際、発言しちゃった場合どうなるんですか?

例えば「アベ死ね」とか。

言っちゃダメっていくら言ったって、勝手に言い始めたらどうしようもない気がするんですが。

というか、冷静に考えてみて下さいよ。

こんな制度いつまでも続くわけないと思いませんか?

男系男子がどうこう以前に、時代的に無理があるでしょう。あの小さな男の子が、絶対天皇なりたくないってダダこねたら、どうするんでしょうか。みんなで洗脳するんですか?

そもそも天皇って何なの?

 

統合失調症に慣れよう

世界仰天ニュース統合失調症の特集
をたまたま見た。
ゴールデンタイムの民放地上波で統合失調症がガッツリ取り上げられることはとても良いことだし、本人が出演するのもとても良い。
けど、これじゃ伝わらない、何か大事なところが伝わってない感じがする。のはなぜだろう。
話がキレイにまとまってしまっているし、うまく社会適応が出来たケースしか取り上げていないから、だろうか。
症状が悪い時の再現映像は、別に間違ってないけど、なんか違う。リアリティに乏しい。独特の奇異な感じが役者さんでは出ていない。
出来れば、不調時の本人の映像があった方が良い。同じ人の良い状態と悪い状態を一緒に見れば、差別感情も少し変わるのではなかろうか。
そうやって症状が変わりうることをイメージ出来れば、街で不調時の人を見かけても、忌み嫌うのではなく、気持ちも対応も余裕が出てくる気がする。
とにかく、もっと多くの人が実態を知るべきだ。数字とかデータじゃなくて。患者本人を見て接するべき。そうしないと慣れない。慣れが一番大事。というかそれだけ。すぐには慣れないと思うけど。
症状が良くならないと社会復帰出来ないんじゃなくて、少々状態が悪いうちから社会で暮らせるようにしないといけない。
それは人道的に、というだけではなくて、医療費とか福祉のお金を減らす、とか現実的に切実な問題でもある。
もう、閉じ込めておけば良い、という時代には戻れないし戻らないのだから、そろそろ国民全員がある程度覚悟を決めてもらいたい。
別に、優しくしろとか、すすんで助けてあげよう、とかそういうことじゃなくて、単に普通に接したら良いだけ。ダメなことは誰がやったってダメ。困ることは困ると言えば良い。普通に。
まあ、慣れたらそんなに大したことじゃないから。

リプトンはケーキ界のファンタジスタだ

葡萄とレアチーズのケーキ
おひとりさまでもたまに食べたくなるのがリプトンのケーキだ。
リプトンはケーキ界のファンタジスタだと思っている。
まさかその組み合わせでその味、という奇跡を起こす。足し算を掛け算に、平面を立体に、ベクトルの内積外積(雰囲気。よくわかってない)にするのがリプトンである。
しかし、打率はそれほど高くない。
これはまた、そう来たか、という一品。
一口(一見、的な意味)これは合わない。
葡萄はやたら甘いが、チーズケーキが全然甘くない。というか、葡萄が無かったらただただチーズを食べているかのようだ。
酸っぱさよりもネットリしたクリーム感の印象が前面にくる。
味のベクトルが明後日の方向を向いている。これでは外積どころか内積にもならない(意味はわかってない)。
しかし、注意深く葡萄とチーズを一緒に口に入れ、混ぜ合わせながら食べる。
すると、葡萄のジューシーさとチーズのクリーム感が、甘さと酸味がうまく絡み合い、お互いを補い合う。
その時、初めて、足し算が掛け算へ、平面が立体へ、内積外積へ(意味不明)と飛躍し相転移が起こる(そう相転移!)
なるほど、これを狙っていたのか。
目的はわかるけど、これは難しすぎるよ。
そんなに都合良く混ざり合わない。
頑張ったけど、結局最後は葡萄が無くなって、ネットリしたチーズを飲み込むしかなかった。
でも、こういう挑戦をしてくるところ、失敗を恐れない姿勢。
嫌いじゃないね。

医療に情報の非対称性はどの程度あるのか

医療においてよく言及される情報の非対称性ですけど、私は医師ですけど、医師であっても、専門外の科に関しては素人と大差ないですね。半可通なだけ余計に悪いかもしれない。

小児科とか産婦人科とか耳鼻科とか歯科とか、自分が複数の病院受診すると、それぞれの医師で言うことが違うので、本当に困ります。ある程度は自分で論文も調べるし、ガイドラインも買ってみたりしましたけど、結局、臨床経験の乏しい知識はまさに机上の空論であり、それをふりかざして偉そうに言わないだけの謙虚さは持っていたい、と思います。
が、それも限界があります。実際、火の粉は自分の周りに降りかかっているわけですから。
結局、自分でも調べつつ、どこかの段階で、人柄であったり、雰囲気を元に決断をするしかありません。
それは、「信じる」という非常に非科学的な行為に近いものがあるように感じています。
というか、専門家の間でも方針が違うことが多い、ということは、医療の問題は、情報の非対称性ではなく、そもそもの科学的な不確実性にあるのではないか、と今ふと思いつきました。
誰に聞いても同じ意見なら、あまり情報の非対称性は問題ではないのではないか、と。つまり、情報を知ってても知らなくても結果は同じですからね。
とか、思いつきで。