0.999...=1 は違うだろ、という話
コレ違うというとアホと思われるのわかった上で書くんですけど
0.999...=1-lim n→∞(1/10)n乗
ってことでいいですよね。
1.000...=1+lim n→∞(1/10)n乗
とすると
0.999...=1.000....=1
ですね。
でも、
1/(1-0.999...)=∞
だけど
1/(1-1.000...)=-∞
じゃないですか。
0.999...と1.000...で答え違うじゃないですか。
じゃあ0.999...=1.000...=1とはならないんじゃないですか?
別の書き方すると
y=1/(1-x)
のxに0.999....と1.000....と1代入するとき、yの値も考え方も違うじゃないですか。
簡単に=っていうなよプンスカ
って思うんですけど、どうすか?
別にこの考え方が正しいと主張する気もないんですけど、小学生の頃からうまくは言えないけど抱く違和感を
1/3=0.333.... は〜い両辺3倍して〜
みたいな証明で終わったことにしてバカにすんなよ、とは思うんですよ。
というのを、
http://yubais.hatenablog.com/entry/2018/06/13/143925
のはてブコメントのリンク先に
https://ja.wikipedia.org/wiki/0.999...
が出てきたので、ふと思い出して書いてみました。
統合失調症に慣れよう
リプトンはケーキ界のファンタジスタだ
葡萄とレアチーズのケーキ
おひとりさまでもたまに食べたくなるのがリプトンのケーキだ。
リプトンはケーキ界のファンタジスタだと思っている。
まさかその組み合わせでその味、という奇跡を起こす。足し算を掛け算に、平面を立体に、ベクトルの内積を外積(雰囲気。よくわかってない)にするのがリプトンである。
しかし、打率はそれほど高くない。
これはまた、そう来たか、という一品。
一口(一見、的な意味)これは合わない。
葡萄はやたら甘いが、チーズケーキが全然甘くない。というか、葡萄が無かったらただただチーズを食べているかのようだ。
酸っぱさよりもネットリしたクリーム感の印象が前面にくる。
味のベクトルが明後日の方向を向いている。これでは外積どころか内積にもならない(意味はわかってない)。
しかし、注意深く葡萄とチーズを一緒に口に入れ、混ぜ合わせながら食べる。
すると、葡萄のジューシーさとチーズのクリーム感が、甘さと酸味がうまく絡み合い、お互いを補い合う。
その時、初めて、足し算が掛け算へ、平面が立体へ、内積が外積へ(意味不明)と飛躍し相転移が起こる(そう相転移!)
なるほど、これを狙っていたのか。
目的はわかるけど、これは難しすぎるよ。
そんなに都合良く混ざり合わない。
頑張ったけど、結局最後は葡萄が無くなって、ネットリしたチーズを飲み込むしかなかった。
でも、こういう挑戦をしてくるところ、失敗を恐れない姿勢。
嫌いじゃないね。
医療に情報の非対称性はどの程度あるのか
医療においてよく言及される情報の非対称性ですけど、私は医師ですけど、医師であっても、専門外の科に関しては素人と大差ないですね。半可通なだけ余計に悪いかもしれない。
小児科とか産婦人科とか耳鼻科とか歯科とか、自分が複数の病院受診すると、それぞれの医師で言うことが違うので、本当に困ります。ある程度は自分で論文も調べるし、ガイドラインも買ってみたりしましたけど、結局、臨床経験の乏しい知識はまさに机上の空論であり、それをふりかざして偉そうに言わないだけの謙虚さは持っていたい、と思います。
が、それも限界があります。実際、火の粉は自分の周りに降りかかっているわけですから。
結局、自分でも調べつつ、どこかの段階で、人柄であったり、雰囲気を元に決断をするしかありません。
それは、「信じる」という非常に非科学的な行為に近いものがあるように感じています。
というか、専門家の間でも方針が違うことが多い、ということは、医療の問題は、情報の非対称性ではなく、そもそもの科学的な不確実性にあるのではないか、と今ふと思いつきました。
誰に聞いても同じ意見なら、あまり情報の非対称性は問題ではないのではないか、と。つまり、情報を知ってても知らなくても結果は同じですからね。
とか、思いつきで。